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松山地方裁判所 昭和34年(ヨ)47号 判決

申請人 真鍋ハル子

被申請人 愛媛県

主文

債務者は、本案判決が確定するまで、債権者に対し金一九〇、〇〇〇円及び昭和三四年一一月から毎月末日限り金一〇、〇〇〇円ずつを支払うべし。

申請費用は債務者の負担とする。

事実

債権者代理人両名は、「債務者は、債権者に対し金五九九、七六〇円及び昭和三四年一〇月一日より本案判決が確定するまで毎月末日限り金三三、一二〇円宛を仮に支払え。申請費用は、債務者の負担とする。」との判決を求め、その理由として次のとおり述べた。

(一)  債権者は、愛媛県公立学校教諭として西条市立玉津小学校に勤務していたところ、任命権者たる愛媛県教育委員会は、昭和三三年三月三一日債権者に対し、依願退職処分を行つた。しかし、右退職処分の基礎となつた債権者の退職願は、同月二六日玉津小学校校長榊原茂利雄により西条市教育委員会を通じて愛媛県教育委員会の出先機関である西条教育事務所に一旦提出されたが、債権者から同月二九日午前八時より同一二時までの間に到達の書面をもつて、愛媛県教育委員会委員長竹葉秀雄に対し、退職願を撤回する旨の申入をしたので、債権者の右退職願は前記退職処分前に撤回されたものである。したがつて、愛媛県教育委員会が債権者に対してした前記依願退職処分は、債権者の退職願にもとずかず、その意に反してなされたものであるから、地方公務員法第二七条に違反する瑕疵があり、且つその瑕疵は重大且つ明白であるから無効というべく、債権者は、依然として愛媛県公立学校教諭たる地位にあり、公立学校教諭の給与負担者である債務者に対し、給与支払請求権を有するものであり、且つその支払時期が到来しているにもかかわらず、債務者は、前記退職処分がなされた事実を楯にとつて、昭和三三年四月一日以降、別表記載の割合による毎月の給与の支払をしない。

よつて債権者は、債務者に対し昭和三三年四月以降の給与支払請求の本案訴訟を提起すべく準備中であるが、従来債権者の給与のみによりその生計を維持して来た債権者及びその家族は、左記のとおり、現に経済生活上深刻な打撃を蒙つているのである。

(二)  即ち、債権者の家族は、亡夫荒太郎(昭和三三年一〇月一四日死亡。)の父富吉(当八五年)と次女照美(当二五年)の二名であるが、義父富吉は老令で労働に耐えず、また、次女照美は、昭和三三年三月に松山盲学校高等科を卒業し、鍼・灸・按摩などの技術を習得しているが、同人は、両眼とも慢性緑内障及び白内障を病んでおり、わずかに右眼のかすかな視力を頼りに辛じて日常生活を営んでいたところ、右盲学校卒業直前頃から右眼の視界も漸次狭ばまり、近時とみに日常生活の不自由を感ずるようになり、外出のときなども債権者が始終附添つている程であるから、他人の開業している鍼灸治療院へ助手として就職するとしても、債権者がその面倒を見てやれるように自宅から通勤できるところでなければならない。

現に、照美は、昭和三三年一〇月から一二月末まで八幡浜市の鍼灸治療院山本利男方に就職して住込んだが、眼が不自由であるうえ、午前八時から午後一一時頃まで約一五時間に及ぶ労働でとても身体が続かないため辞めてしまつた。そうかといつて自宅から通勤できるところには、就職口が見当らない現状である。しかも自ら開業するとしても、法規上要求される専用の待合室・治療室の設置、消毒その他の衛生設備・治療用器具購入のためには、約一、一〇〇、〇〇〇円の資金を要するが、貯金もなくまたこのような巨額の融資をうける当もないので、照美の稼動は、早急に望みえないところである。なお債権者は、健康で労働能力もあるが、前記のとおり依然として公立学校教諭の身分を有するところ、地方公務員は、地方公務員法第三八条により兼業を禁じられているから、他に就職しえないのである。

このように債権者及びその家族は、何らの現金収入もえられず、また頼るべき貯金もないのであり、債権者は前記退職処分命令による給与の差止めをうけて後、家族の生活費はもとより、照美が昭和三三年五月に盲腸炎の手術、更に同年八月眼病治療のため高松市所在の宮武病院に入院し、また同年一〇月一四日債権者の夫荒太郎が死亡したなど不時の出費をまかなうため約金一三〇、〇〇〇円の借金をしたほか、近隣からも小額の融通をうけているがこれ以上の借金は、債権者の支払能力からいつても不可能でありまたこれらの借金の返済に毎月三、〇〇〇円宛支出しなければならない状況であつて、かくて債権者の生計は、今後維持できない窮状に陥入り且つその損害は、本案判決を待つては償うことのできないものであるから、申請の趣旨記載のごとき判決を求めると述べ、

債務者の答弁事実に対し、成程債権者居住の家屋に、債権者の長女和美、同女の夫伊藤寛一及び同人らの子供四人が同居しているが、同人らは債権者らと生計を別にしており、また債権者の義父富吉が右家屋(平屋建一棟建坪二四坪)及び田畑七反八畝余を所有しているが、債権者にはそれら不動産の処分権限はないから、これを担保にして融資をえて急場をしのぐこともできないとともに、そのうち田畑は右長女夫婦が耕作・収益しており、債権者にとつて右不動産の存在は、家賃が不要であること、長女夫婦から飯米の提供をうけているという利益があるにすぎない。もつとも債権者は右飯米の提供をうける代償として長女らの副食費を負担しているのであるから、特別の利益という程のものではない。いずれにしても右のごとき事情であつて、債権者及びその家族の生計に必要な現金をうる方途はないのであると述べ、

債務者の法律的主張に対し、無効な行政行為に対し行政事件訴訟特例法第一〇条第七項の適用はない。けだし行政行為については、それが優越的意思の発動としてなされたものであること、或は行政運営の円滑性の確保といつた観点から対等者間の法律行為とは異つた取扱をうけているが、深刻な瑕疵の故に公権的判断を俟つまでもなくその効力を否定されている行為についてまで、右のような特別の扱を与える必要はないのであり、殊に本件のように、本案訴訟が行政処分の無効を前提とした公法上の当事者訴訟である場合には仮処分を認めるべきであると述べた。

(証拠省略)

債務者代理人は、「債権者の申請を却下する。申請費用は債権者の負担とする。」との判決を求め、答弁として、

(一)  債権者主張の申請の理由第一項の事実中、退職願の撤回により債権者の退職する旨の意思表示がその効力を失つたとの点は争うがその余の事実は認める。

(二)  同第二項の事実につき、債権者は義父富吉、次女照美の三人家族であり、宅地約二七八坪、同地上の家屋建坪約四九坪に居住し(長女夫婦及びその子四人も同居)、田約八反・畑約一反四畝を自作しており、県下の農業経営からみても田地の平均耕作反別五反三畝に比べると遥かに多い耕作反別を有し、旧飯岡村では自作農の上位に属する大農であり、充分に生活能力を有するものであるから、生計を維持できないとの主張事実を否認する。その余の事実は知らないと、述べ、

なお法律上の主張として、

(1)  行政行為の無効確認訴訟は、行政行為の瑕疵を主張し、その瑕疵の重大かつ明白な違法を理由として行政行為の無効である旨の判決を求める訴訟である。而して、行政行為に存する瑕疵が処分取消の判決があることによつてその効力を失う程度のものか又は取消されるまでもなく無効のものであるかは、単なる瑕疵の程度によるものであつて、処分の違法を主張する点において両者は同一であるばかりでなく、しかも判決によつて行政行為が無効とされるまでは行政行為の本質上一応有効なものとして存在する以上、無効確認を求めるということは、処分の取消の宣言を求めると同一であるといわなければならない。

従つて、行政行為の無効確認訴訟は、当事者訴訟の形式を有するとしても、その実体は処分の違法を主張する抗告訴訟の一種と解すべきである。

(2)  行政事件訴訟特例法第一〇条第七項の規定は、行政行為の無効確認訴訟の場合に適用なく、仮処分に関する民事訴訟法の規定の適用がありとする説がなくはないが、行政行為の無効確認訴訟の本質が前述のような抗告訴訟の性質を有するものであるから、同条第二項の処分の執行停止の規定が準用せらるべきであつて、民事訴訟法の仮処分に関する規定が適用されるべきでないことは当然である。そして、このことはすでに最高裁判所の判例が示すとおりである。(昭和二八、六、二六判決最高裁判所民事判例集第七巻第六号七六九頁参照)

(3)  本件仮処分申請は、愛媛県教育委員会の解任の処分に対してその効力の停止を内容とするものであつて、訴訟の形式が当事者訴訟の形式においてなされるか否かにかかわらず、愛媛県教育委員会の処分の無効を前提とする限りは抗告訴訟の性質をもつものであつて、右(1)(2)の理由によつて本件申請は不適法として却下さるべきものであると述べた。

(証拠省略)

理由

債権者が愛媛県公立学校教諭として、西条市立玉津小学校に勤務していたところ、任命権者たる愛媛県教育委員会が昭和三三年三月三一日債権者に対し依願退職処分を行つたこと、及び右退職処分の基礎となつた債権者の退職願は、同月二六日玉津小学校校長榊原茂利雄により西条市教育委員会を通じて右県教育委員会の出先機関である西条教育事務所に一旦提出されたが、債権者から右処分前である同月二九日午前八時より同一二時までの間に到達の書面をもつて、県教育委員会委員長竹葉秀雄に対し、右退職願を撤回する旨の申入をした事実は、当事者間に争がない。

そうすると、債権者の右退職願は、有効に撤回されたものと解すべく、したがつて県教育委員会が債権者に対してした前記依願退職処分は、前提要件を欠き、しかもその瑕疵は重大かつ明白であるから無効というべく、債権者は依然として愛媛県公立学校教諭の地位にあるというべきである。

しかして債務者が公立学校教諭の給与負担者であることは、明かである(市町村立学校職員給与負担法〔昭和二三年法律第一三五号〕第一条参照)ところ、債務者が債権者に対し、昭和三三年四月以降の給与の支払をしていない事実並びに債権者が昭和三三年三月当時二等級二五号俸で、別紙給与表(1)記載の割合による給与を遅くとも毎月末日までに支給されていたことは当事者間に争がない。

そうすると、債権者は、債務者に対し昭和三三年四月以降右割合による給与の支払請求権を有するものというべきであるが、唯後記のとおり債権者の被扶養者である夫荒太郎が昭和三三年一〇月一四日に死亡しているので、同人の扶養手当は右死亡の日の翌日以降は控除さるべく、したがつて同年一〇月一五日以降は別紙給与表(2)記載の割合による給与の支払請求権を有することとなる。

そこで、右のごとき退職処分の無効を前提とする公法上の給与支払請求訴訟を本案として、債権者申請のいわゆる「仮の地位を定める仮処分」が許されるか否かについて考えると、元来無効な行政処分は、それが行政処分として表見的には存在するけれども、何らの効力も生ずるものではないから、その効力の関係においては恰も行政処分自体がなかつた場合と同様に、関係人もこれに拘束されないのであつて、債務者主張のごとく判決によりその「無効宣言」がなされるまでは、一応有効なものとして取扱われなければならないような性質のものではないというべきである。したがつて、右「無効宣言」をまたないで、債権者主張の本件退職処分の無効を前提とする給与支払請求の本案訴訟の提起が許されるべきことはいうまでもない。しかして右は、行政事件訴訟特例法第一条後段の公法上の権利関係に関する訴訟であるが、かかる訴訟についても権利保全の必要があると解すべきところ、右同法はこれにつき何ら規定するところがないから、原則として民事訴訟法の仮処分に関する規定の適用があると解するを相当とする。

もつともこの点につき、債務者は、「本件仮処分の申請は、愛媛県教育委員会が債権者に対してした前記退職処分の効力の停止を内容とするものであるから、本案訴訟の形式が当事者訴訟であると否とにかかわらず、愛媛県教育委員会の処分の無効を前提とする限り抗告訴訟の性質をもち、行政処分の無効確認訴訟の場合と同様に行政事件訴訟特例法第一〇条第二項及び同条第七項の準用があり、本件仮処分の申請は同条第七項に違反し、不適法である。」という趣旨の主張をする。

なるほど、行政処分が無効な場合においては、その無効を先決問題とする公法上の権利関係に関する訴訟のほか、法律上の利益が認められる限り当該処分の無効確認訴訟も許されるというべきである。しかして右無効確認訴訟を本案とする仮処分の許されないことにつき、債務者指摘の最高裁判例のみならず、その他にも同旨の判例があるが、それらの判例の趣旨とするところは、行政事件訴訟特例法第一〇条第七項の法意が、三権分立の精神に鑑み、行政処分の有効・無効を問わず、当該処分の効力を停止する(厳密にいえば、無効の行政処分については、行政処分としての表見的存在を暫定的に除去することになるであろう。)ための暫定的処分は、同法条第二項によるべく、民事訴訟法の定める仮処分によりえないというにあることを根拠とするものと考えられるが、本件仮処分の申請は、前記退職処分の効力の停止そのものをその内容とするものではないから、指摘の判例はもとより前記法条第七項に牴触するものではないというべきである。

よつて本件仮処分の申請は、適法と解すべきであるから、進んでその必要性の有無につき判断する。

債権者本人尋問の結果により真正に成立したものと認める疎甲第一号証、成立に争のない同第二号証、同第四ないし同第七号証、成立に争のない疎乙第一ないし第一五号証に、証人伊藤寛一の証言及び債権者本人尋問の結果の各一部を綜合すると、債権者の家族のうち、亡夫荒太郎の父富吉は、当八五年の老令で労働不能の状態にあり、次女照美は両眼とも慢性緑内障及び白内障を病んで殆んど失明に近いが、同女は昭和三三年三月に松山盲学校高等科を卒業し、鍼・按摩・灸などの技術を習得しており、設備を要しない按摩の開業により僅かながらも収益を挙げていること、そのほか債権者の長女和美及びその夫伊藤寛一並びに同人らの子が一一才を頭にして四人同居しており、同人らも債権者と同一世帯或はすくなくともそれと同視すべき関係にあつて生活を営んでいること、債権者及びその長女和美次女照美並に伊藤寛一はいづれも資産はないが、義父富吉は、宅地約一三〇坪余と現に居住している家屋木造瓦葺平屋建一棟(建坪三二坪)、附属建物釜屋一棟(建坪八坪)並びに耕作可能の田約七反八畝余及び畑二畝余を所有しており、これらの田畑は、長女和美とその夫伊藤寛一が耕作し、産米等の収獲物は、債権者の家族の食用に供されるに充分であるほか、余剰収獲物の売却などによる収益や、伊藤寛一の左官仕事によりかなりの現金収入があること、しかしながら他方、前記退職処分により給与が支払われなくなつて後、次女照美が昭和三三年五月頃盲腸炎のため手術を受けたほか、同年八月眼病治療のため入院し、また同年一〇月一四日には債権者の夫荒太郎が死亡するなど不時の出費が嵩み、そのため相当の借財ができ、その返済のこともあつて、家族の生活は現在相当に窮迫している事実を一応認めることができる。

しかして、以上の諸事情を参酌すると、債権者が被扶養者照美とともに今後も右富吉や和美夫婦の収益に依存して生計を維持してゆくことは困難であるといわねばならない。

よつて、債権者のかゝる現在の危険を避けるため、債務者に対し、債権者にすでに履行期の到来している昭和三三年四月分以降、翌三四年一〇月分まで月額金一〇、〇〇〇円の割合による合計金一九〇、〇〇〇円と同年一一月分以降、本案判決の確定まで毎月末日金一〇、〇〇〇円ずつの支払を命ずるのを相当とする。

なお債権者は、昭和三三年四月分以降の給与の全額の支給を求めているが、前記金額を超える部分は債権者の現在の前記生活関係から考え、その支給を命ずる必要がないものと認めこれを除外した。

よつて、申請費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 木原繁季 谷野英俊 石田真)

(別表省略)

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